はじめに
モータ設計エージェントを開発するスタートアップ、株式会社MotorAIのCo-Founder/CEOの清水です。MotorAIは、AIによる日本のものづくり設計の加速と国際競争力の強化を目標に、人間の設計者と同じように自律的に設計開発を進めるAIエージェント「モータ設計エージェント」を開発・提供しています。
MotorAIは私が助教として大学に所属しながら2023年3月に創業したスタートアップです。現在はアクティブメンバー11名の体制で、国内大手メーカー3+α社とのPoC実施、電磁界解析ソフトウェア「JMAG」開発元のJSOL社とのパートナー契約締結、NEDO/NEP躍進3000やGo-Tech2025への採択、経産省・NEDOの「GENIAC-PRIZE」での受賞など、少しずつですが前に進んでいます。
MotorAIはまだまだ挑戦中のスタートアップですが、普段MotorAIを支えて下さっている方々、応援して下さっている方々から、「どういう経緯でMotorAIを創業したのか」「MotorAIをどのような会社に成長させたいのか」という質問を多く頂いてきました。
実はここに至るまでには、紆余曲折がありました。これまでの経緯と、どのような基準で意思決定をしてきたかについて、率直に書こうと思います。
かなり長くなってしまいましたが、ぜひ最後までお付き合い頂ければ幸いです。
技術が良いだけでは勝てない
MotorAIの創業と経営を通じて、私が最も痛感しているのは、「良い技術を持っているだけでは事業にならない」ということです。
これは研究者出身の起業家にとって、最も受け入れがたい現実かもしれません。大学では論文の新規性や技術的な貢献が評価されます。良い技術を作れば、良い論文が書ける。しかし、事業はそうではありませんでした。
私は、大手自動車メーカーの現場で感じた危機感をきっかけに、大学に戻って「モータ×AI」の研究を立ち上げ、サロゲートモデルや深層生成モデルで成果を創出してきました。論文は国際ジャーナルに通り、学会でも一定の評価を頂きました。しかし、それを事業化しようとした瞬間、技術の良さとは全く別の壁にぶつかりました。企業はデータを出してくれない。解析時間の短縮だけでは刺さらない。技術が良いことと、その技術が事業として成立することの間には、想像以上の距離がありました。
この経験から学んだのは、技術の事業化においてはどの市場で戦うか(where)、何を提供するか(what)、なぜ今なのか(when)の3つの選択が、技術そのものの優劣と同じかそれ以上に重要だということです。
この3つの問いに対する仮説は、一朝一夕に固まったわけではありません。大手自動車メーカーでの現場経験、サロゲートモデル研究、そして痛みを伴うピボットを経て、少しずつ形になっていきました。
原体験:大手自動車メーカーの現場で感じた危機感
私は大学院(修士)を2018年3月に修了した後、大手自動車メーカーに入社しました。
私が在籍していた2010年代後半は、EVの盛り上がりがとにかく凄まじい時期でした。新興国のEVベンチャーが市場を席巻し始めており、特に圧倒的だったのは彼らのスピード感です。従来の自動車メーカーの開発期間の半分以下で開発を進める会社もあったほどでした。もちろん既存の自動車メーカーは信頼性や性能面ではまだまだ優位にありましたが、市場競争の観点から、開発期間を大幅に短縮しなければならないという焦燥感が会社全体に広がっている状況でした。
私は現場にいて、本当に日本のものづくり業界は終わってしまうのではないか、とまで感じていました。
開発スピードの差を埋めるには、設計プロセスそのものを変えるしかない。そしてその鍵はAIにあるのではないか、と漠然と考えるようになりました。
しかし、メインの業務をこなしながら、全く未経験のAI技術を並行して習得・運用していくのは不可能に近いものがありました。この「危機感はあるのに、現場の中からでは解決できない」というもどかしさが、大学に戻って「モータ×AI」の研究を立ち上げる直接的なきっかけになっています。
つまり、大手自動車メーカーの現場で感じた「開発スピードの圧倒的な差」と「それを現場から変えられないもどかしさ」が、MotorAIの原点です。
「モータ×AI」の研究者として
大手自動車メーカーを退職した後、2020年4月より大阪府立大学の博士後期課程に進学し、「モータ×AI」の研究を立ち上げました。私が所属した研究室は、モータの設計や制御理論について長年研究を進めてきたラボでしたが、指導教員の森本先生はAIについては専門外でした。世界全体で見ても、この領域には当時ほとんど研究者がおらず、文字通りゼロからのスタートでした。
サロゲートモデルの研究
最初に取り組んだのは「サロゲートモデル」と呼ばれる技術です。

モータの設計開発では、電磁界解析(有限要素法)を何度も繰り返し実施する必要があり、規模によっては数時間から数週間もの計算時間がかかります。サロゲートモデルは、モータの形状と特性の間の非線形関係を機械学習で学習し、有限要素解析を用いずに特性を高速に予測するモデルです。(サロゲートは「代理」という意味です)
私は博士後期課程の研究で、埋込磁石同期モータのモータパラメータを機械学習でモデリングし、最適化設計時間を従来の2.9〜6.9%にまで短縮する手法を提案しました。この成果は、当時まだ新しい研究領域だったこともあり、国内外の学会で4件の発表賞を受賞し、IEEJ J. Ind. Appl.やIEEE Accessにも論文が掲載されました。
深層生成モデルによる自動設計
次に取り組んだのが、画像生成に用いられる深層生成モデル(GAN)をモータの設計に応用する研究です。

GANでモータの回転子形状を画像として生成し、畳み込みニューラルネットワーク(CNN)でその形状のモータ特性を予測することで、複雑な設計最適化を極短時間で完了するシステムを構築しました。この成果は、IEEE Trans. Energy Convers.やIEEE Trans. Ind. Electron.といった本分野トップのQ1ジャーナルにも採択されました。
ここで一つ大きな壁がありました。深層学習には大量の訓練データが必要ですが、研究開始時の計算環境では10万データの生成に2.36年を要する試算でした。正攻法ではデータ生成だけで博士後期課程が終わってしまいます。そこで、小規模な機械学習モデルを用いて少量の有限要素解析データから十分量のデータを短時間で生成する手法を考案し、この問題を解決しました。
これまでの研究により、「モータ×AI」の研究者として国内外で一定の認知を獲得することができました。
しかし、この技術を事業化しようとした時に、決定的な壁にぶつかることになります。
なぜサロゲートモデルでは事業にならなかったのか
サロゲートモデルはそれ自体は素晴らしい技術ですが、事業として成立させるには2つの構造的な壁がありました。
①セキュリティの壁:企業はデータを出せない
サロゲートモデルを実用レベルで構築するには、何よりも大量のモータ設計データが必要です。私は博士後期課程の学生、その後は大学の助教として研究を行ってきましたが、ラボレベルで集められるデータでは到底足りず、お客さんから実際の設計データを提供して頂かなければなりませんでした。
しかし、そうした設計データは製造業にとっては宝の山であり、競争力の源泉です。データを外部に出したがる企業などほとんどいません。
ならばみんなでデータを持ち寄ってモデルを共同構築しよう、と、コンソーシアム的な提案を企業に持ちかけた時期もありました。2024年の春頃のことです。しかし、たかだか大学の助教、小さなスタートアップの代表という若造の呼びかけに、耳を傾けてくれる人などいませんでした。
ここに産業構造的に(少なくとも私にとって)致命的な問題がありました。
②費用対効果の壁:解析時間の短縮が刺さらない
もう一つ、モータの分野に特有の事情がありました。
サロゲートモデルの最大の売りは、解析時間を圧倒的に短縮できることです。熱流体解析のように一回の解析に何日もかかる分野では、準備にかける手間やコストを考えても十分に費用対効果が見込めるでしょう。一方、モータ設計の主流である電磁界解析は、支配方程式の性質上、他分野に比べると計算が比較的速い領域です。数分から数時間、場合によっては数日から数週間かかることもあるとはいえ、相対的に見れば計算時間は短く、データの準備や学習などを想定した場合、サロゲートモデルの費用対効果は低いのではないかと考えています。(モータでも熱流体解析やインバータ連成のように重い解析はありますが、あくまで主流の解析に限った話です)
つまり、サロゲートモデルによる「解析時間の短縮」という価値提案は、モータの分野ではインパクトが限定的で、設計開発工程全体から見て最優先で解決したいボトルネックにはなっていなかった、というのが私の結論です。
この2つの問題こそが、私にピボットを迫った主要因です。
しかし、すぐにピボットできたわけではありませんでした。会社を辞めて「モータ×AI」の研究を一から立ち上げ、そこまで積み上げてきたものがあります。うすうす「これではダメだ」と分かっていても、それを捨てることは容易ではありませんでした。もちろん、捨てた後に何をするのか、という問題もありました。
設計エージェントへのピボット:2024年8月14日
転機となったのは、2024年8月13日にSakana AI社から発表された「AI Scientist」でした。

AI Scientistは科学研究を完全自動化するコンセプトの研究発表で、研究アイデアの立案、実装(プログラミング)と実験(数値実験)の実施、レポーティングと評価を自己完結するものでした。当時は「エージェント」という言葉もまだ一般的ではなく(ClineもClaude Codeもなかった時代です)、私にとっては衝撃的な研究でした。
と同時に、「これをモータ分野、ひいてはものづくり分野に応用すればよいのではないか」と着想しました。
つまり、AIがモータ設計のアイデアを生成し、実際にCADの作成や解析条件の設定を行い、電磁界解析を実行し、その結果をレポーティングして評価する、人間の設計者と同じように設計開発を進めるAIです。
もちろん、言うほど簡単な話ではありません。当時のAI Scientistが扱っていたのはテキストとコードの世界ですが、モータ設計ではCADの2,3次元形状を扱う必要があり、空間認識に課題のあったAIにとってこれは大きなハードルでした。さらに、電磁界解析を実行するには、境界条件の設定、メッシュ生成、材料設定、結果の可視化分析といった煩雑なpre/post処理を正確にこなさなければなりません。「ものづくり設計の自動化」を達成するにも、相応の距離がありました。
それでも、この着想でサロゲートモデルの2つの問題が同時に解消されることに気づきました。
まず、セキュリティの問題です。AIが解析ソフトを使って自分でモータを解析し自分で設計を進めるのであれば、企業はデータを外部に出す必要がありません。AIはお客さんの社内環境で、お客さんのツールを使って設計を行うからです。
次に、費用対効果の問題です。サロゲートモデルは解析時間の短縮という一部のボトルネックしか解決できませんでしたが、設計エージェントは設計開発プロセス全体を代行します。設計者が本当に困っている「設計業務そのもの」を解決できるのです。
この着想を得た翌日、2024年8月14日から、公開されているGitHubのリポジトリを隅から隅まで読み、再現実験をひたすら繰り返し、2~3週間ほどかけて「AI-Motor-Designer v1」を作り上げました。

当時の設計エージェントのコンセプトに関するメモ。

現在の設計エージェントのフロー。使っている技術や情勢はこの1年半で大きく変わったが、コンセプトはほぼ同じ。
そして、このプロトタイプを基にチームメンバーに呼びかけました。「今までのサロゲートモデルの技術は一回捨てて、こっちにシフトしよう」と。2024年9月のことです。
積み上げてきたものを捨てるのは痛みを伴う決断でした。ただ、うすうす気づいていた問題に蓋をしたまま走り続けるよりも、まだ間に合ううちに方向を変える方が、結局は会社にとっても自分にとっても誠実だと思いました。
MotorAIの創業
ピボットの話を先に書きましたが、時系列を戻して、MotorAI社がどのように生まれたかについて書きます。
赤津先生・長井さんとの出会い
私は博士の学生の頃から漠然と起業に興味があり、大学のアントレプレナー関連の講義を受講したり、自分の研究を事業化するにはどうすればいいか考えたりしていました。しかし、「漠然と興味がある」と「実際に一歩を踏み出す」の間には天と地ほどの差があります。当時の私には、会社の作り方も分からなければ、周りに社長の知り合いもいませんでした。
転機になったのは、2021年8月の電気学会産業応用部門大会(コロナ禍のためオンライン開催)です。当時博士の学生だった私の発表の座長が、横浜国立大学の赤津教授でした。赤津先生はわざわざ研究について連絡を下さり、そこから共同研究が始まりました。赤津先生はモータ業界に幅広いネットワークを持つ方で、やり取りを重ねる中で、研究の事業化という選択肢が少しずつ現実味を帯びていきました。
翌年2022年8月の電気学会産業応用部門大会(ハイブリッド開催)では、ポニー電機の長井社長と出会いました。長井さんはパワエレ分野で会社経営をされているだけでなく、大学発ベンチャーの立ち上げ支援もされている方です。長井さんと話す中で、「どうやって会社を作るのか」「何から始めればいいのか」という、それまで自分一人では解けなかった問いに道筋が見え始めました。
この二人との出会いによって、起業に対する漠然とした興味は、具体的な意志へと変わっていきました。2022年11月頃、「会社を立ち上げたい」と二人に連絡し、横浜に駆けつけて事業のコンセプトを説明しました。赤津先生は創業前から受託案件をつないでくれる企業を紹介してくれ、長井さんは会社設立の実務面を導いてくれました。
共同創業者COO本田の存在
そして、ここで絶対に忘れてはならないのが、共同創業者でCOOの本田の存在です。
本田は大学時代からの友人で、卒業後にほとんど唯一と言っていいくらい定期的に連絡を取り合っていた人物です。私が会社を辞めて博士後期課程に進み、色々な研究を進めている際にも、ボランティア的にJST/ACT-Xの研究提案書を見てくれたり、プレゼン資料の壁打ち相手になってくれたり、学生向けのアントレプレナーシップ授業の内容を一緒に考えてくれたりと、実際に創業を考えてもいないような時期から、さまざまな側面で支えてくれていました。
2022年11月頃に長井さん・赤津先生との顔合わせを済ませ、具体的に会社を立ち上げましょうとなった後、真っ先に声をかけたのが本田です。
長井さんは非常勤役員、赤津先生は技術顧問として、どちらもアドバイザー的な立ち位置です。しかし本田は、ともに汗をかきながら事業を進めてきた戦友です。彼がいなかったらMotorAIはスタートすらしなかったと断言できます。
こうして2023年3月、株式会社MotorAIを設立しました。
MotorAIは何を目指しているのか
創業前後の紆余曲折を経て学んだことは、技術の良し悪しよりもむしろ「どの市場で(where)、何を(what)、なぜ今(when)やるのか」という選択が事業の成否を大きく左右するということでした。
以下では、この3つの問いにどう答えようとしているのかについてまとめます。

どの市場を狙うのか
MotorAIが最終的に狙う市場は、一般的なモータの大量生産市場ではありません。
狙うべきは、「少量多品種」への対応力と「サプライチェーンの強靭性」が単価差以上の価値になる市場です。具体的には、防衛・防災・点検・物流向けのドローン、ロボティクスやヒューマノイド、高度な専用仕様の産業機器といった領域が中核になると考えています。
なぜこの市場なのか。理由は大きく2つあります。
少量多品種が求められる産業構造
ドローンやロボティクスは、用途ごとに求められる仕様が大きく異なり、量産による規模の経済が効きにくい構造を抱えています。
経産省の無人航空機に関する中間取りまとめ(2025年)では、現在のドローン部品サプライチェーンについて、各社が個別に部品開発・生産を行っており、その結果として多品種少量生産になり、コスト上昇を招いている状況が明示されています。
そのうえで、モータ・コントローラはバッテリーや通信モジュールと並んで「協調領域」、つまり産業全体で効率化すべき重要部品として整理されています。同資料では、2030年時点で安定供給と情報セキュリティが特に求められる点検・物流・防犯用途だけで約8万台のドローンが見込まれ、それに必要なモータ・コントローラは最大48万台と試算されています。
ロボティクス側でも同様です。経産省のAIロボティクス検討会資料では、少量多品種市場に対応するには個々のニーズごとに別のロボットや制御を開発する必要があり、開発期間の長期化と高コスト構造が課題になると整理されています。ヒューマノイドを含む多用途ロボット市場は2040年までに約60兆円規模に達する見込みです。
しかし、そのうちモータやアクチュエータは部品コストの40〜60%を占めるにもかかわらず、要求仕様を満たす市販品が不足しており、多くのロボットメーカーが製品設計を既存モータの仕様に合わせて妥協しているのが現状です。
こうした産業では、用途に最適化されたモータを短期間・低コストで設計できるかどうかが、製品の競争力を直接左右します。ここに、設計エージェントによる生産性向上が効く余地があると見込んでいます。
サプライチェーンの地政学リスク
高性能モータに欠かせない永久磁石は、原材料であるレアアースの供給が特定地域に集中しており、その調達構造は地政学的に極めて敏感です。米国エネルギー省(DOE)の資料によれば、2020年時点で中国がレアアース採掘の58%、永久磁石製造の92%を占めています。

経産省の資料でも、2025年のヒューマノイドロボット出荷台数の約80%が中国系メーカーと見込まれており、フィジカルなものづくりの供給網は大きな偏りを抱えています。
このような市況では、特定の部材や調達先に設計が固定されること自体がリスクになります。しかし現状では、レアアースの供給制約や輸出規制が発生した場合に、代替材料や代替サプライヤーに切り替えるための再設計には膨大な時間とコストがかかり、多くの企業が供給リスクを認識しながらも設計を変えられずにいます。
ここに、設計エージェントが効く余地があります。代替材料・代替構造への設計変更を短期間で実行できれば、供給途絶が起きてから対応するのではなく、平時から複数の設計オプションを準備しておくことが可能になります。最安の単価で勝負する巨大汎用品市場ではなく、供給網の分散や原産地管理、仕様変更への耐性が単価差以上の価値になる市場こそ、MotorAIが戦うべき場所だと考えています。
何を作るのか
これら市場に切り込むために、MotorAIが作るのは「設計エージェント技術を中核に据えた、モータの設計・製造一気通貫基盤」です。
少量多品種の市場で価値を出すには、設計したモータが実際に製造可能な形になっていなければなりません。用途ごとに異なる仕様のモータを高速に設計できても、そのたびに製造工程の調整や部品調達のすり合わせに時間がかかるなら、設計の速さが活きないからです。
サプライチェーンリスクへの対応も同様です。代替材料や代替構造への再設計を短期間で実行できたとしても、それが部品表や調達先の変更として製造側に反映されなければ、設計変更は絵に描いた餅で終わります。
つまり、設計エージェントの技術を、製造につながる一気通貫の基盤へと拡張する必要があります。具体的には、共通化すべきコア設計は共通化し、仕様変更や部材変更が発生すれば設計エージェントが短期間で再設計を回します。その結果が部品表、原産地情報、変更履歴として製造工程に直接つながる仕組みです。
この「設計から製造までがデータとしてつながっている」構造は、防衛や安全保障に関わる用途で求められる追跡可能性とも自然に合致します。米国国防総省のDigital Engineering Strategyは、設計根拠や変更履歴を製品ライフサイクル全体で追跡できる情報基盤の重要性を強調しています。
設計エージェントが設計過程で残す「なぜこの構造にしたか」「どの材料を選んだか」「何を変更したか」といった記録をそのまま証跡として活用できることは、こうした市場への参入において大きな強みになると考えています。
なぜ今なのか
Physical AIが今後大きく拡大すること自体は、もはや広く認識されています。問題は、その拡大に伴い、サプライチェーンの再編が求められる時期に入っていることです。
AIのフロンティアモデル開発は米国が主導してきましたが、フィジカルなシステムは中国が先行しています。先述の通り、永久磁石製造の92%が中国に集中し、ヒューマノイド出荷の約80%が中国系メーカーです。中核部品であるモータやアクチュエータの調達が特定地域に集中していることのリスクは、Physical AIの拡大に伴い、産業面でも安全保障面でも無視しにくくなっていきます。
さらに、エージェント技術の進展により無人システムの自律性が高まれば、ドローンやロボットの国防利用がより本格化します。そうなれば、中核部品を誰が設計し製造するかは、産業競争力だけでなく安全保障上の問題になります。同盟国圏において、信頼できるモータの設計・製造基盤への需要が高まる蓋然性は十分にあると考えています。
モータの設計・製造一気通貫基盤の競争力は、設計データ、代替部材の知見、原産地制約への対応力といった経験の蓄積から生まれます。一朝一夕には積み上がらないからこそ、今から仕込みを始める必要があります。
MotorAIはどうやって少量多品種モータの設計・製造基盤を作るのか
少量多品種とサプライチェーンリスクが価値になる市場に対して、設計エージェント技術を中核に据えた設計・製造一気通貫基盤を、サプライチェーンの再編が始まっている今から仕込んでいく、ここまでが事業の方向性です。
次に考えるべきは、MotorAIがどのようにしてこれを実現するか(how)です。私は、この道筋を3つのステップに分けて設計しています。

まずは設計エージェントを現場に入れ、現場知を獲得する
最初のステップでは、設計エージェントをSaaSとして現場に導入します。これは、単に売上をもたらすプロダクトを提供するだけではなく、設計・生産技術現場の生の環境に設計エージェントを投入することで、Webや論文だけでは得られない現場知を獲得する目的があります。
モータ開発において、設計工程と製造工程ではAI活用の難しさが大きく異なります。設計工程は、設計理論や数式モデル、事例など構造化データが整備されており、AIとの親和性が比較的高い領域です。一方、製造工程は現場の経験や判断に大きく依存し、口頭伝達が多く文書化されにくい傾向にあります。「この公差だと歩留まりが下がる」「この形状は打ち抜けない」といった知見は、その会社の現場にしか存在しません。

MotorAIが最終的に目指す「モータの設計・製造一気通貫基盤」に本当に必要なのは、後者の現場知です。問われるのは、理論上の最適設計ではなく、製造上の制約の中で本当にモノが作れて、法規認証を通って、継続的に量産できるか、だからです。
設計エージェントを実際の設計現場に導入すること自体が、この現場知に触れる最も確実な手段です。設計者がどのような要件で悩み、生産技術者がどこに懸念を持ち、試作でどんな問題が起きるのか、そうした現場の実態に日常的に接することで、設計エージェントが扱うべき課題の解像度が上がり、製品としての精度が磨かれていきます。SaaSは、売上をもたらすプロダクトであると同時に、この現場接点を持つための仕組みでもあります。
この現場接点を実現するには、設計エージェントが現場で実際に使われている設計ツールと連携し、既存の業務フローの中に自然に入り込める必要があります。(もちろんお客さんの情報を無断で学習することは絶対にないですが。)2025年12月には、国内外で人気のモータ設計者向け電磁界解析ソフトJMAGを提供するJSOLとパートナー契約を締結し、設計エージェントがJMAGを自動操作して既存の設計フローに組み込める体制を整えました。

2025年度にはトヨタ・ダイキン・三菱重工業といった国内大手メーカー3社とのPoCも完了し、2026年度はこのSaaS事業を本格化していきます。
次に設計から試作までを一気通貫で回せるようにする
SaaS事業の次のステップは、設計エージェントの能力を試作製造まで拡張するフェーズです。設計だけでなく、試作完了までを一気通貫で回せるサービスを作ります。
要求仕様を受けてから試作品が出来上がるまでを、設計エージェントを中核にして短期間で一気通貫に実現する、これがこのステップの提供価値です。そのためには、部品表・変更履歴・試験評価記録を一貫して管理するトレーサビリティの仕組みが必要になりますし、サプライチェーンの制約が変わった際に素早く設計変更を回せることも重要なユースケースになります。
このサービスのターゲットとしては、設計変更の頻度が高く、かつモータを完全内製できない企業を想定しています。具体的には、ドローンOEM、ロボットOEM、特殊産業機器メーカー、大手メーカーの新規事業部門などが該当します。こうした企業は、仕様変更のたびに外部の設計会社や試作メーカーとのすり合わせに時間を取られており、設計から試作までを一気通貫で任せられる相手を求めています。
このステップが目指しているのは、「少量多品種だから高コスト」という常識を崩すことです。再設計の待ち時間、部材代替時の手戻り、試作のやり直し、サプライヤ切替時の遅延。設計から試作までを一気通貫でシステム化できれば、これらの隠れたコストを大幅に圧縮でき、少量多品種でも十分に成立するコスト構造を作れるはずだと考えています。
最後に製造まで担い、モータを届けられる会社になる
最後のステップで、MotorAIはソフトウェア提供者から、少量多品種のモータを設計・製造し、継続的に納品する責任を持つ企業へと変わります。
ただし、ここで最初に取り組むのは、製造工程の内製化ではありません。まずは、特定のモータ・アクチュエータの製品群について、共通コア設計、承認済みの部品表、設計変更の管理、最終受入試験、トレーサビリティ、継続供給の責任を一括して握ることから始めます。製造の大部分はパートナーと連携しながら、MotorAIは「素早く設計し直せること」と「製品として届ける責任を持てること」を両立する基盤を作ります。
ここで重要なのは、案件ごとに毎回ゼロから設計する受託モデルにしないことです。共通コアを持ち、用途に応じた派生設計で対応できる製品群を持つことがスケールの条件です。たとえば、点検・物流系ドローン向けの特定出力レンジや、特定用途ロボットのジョイント用アクチュエータなど、最初に狙う市場に合わせた1〜2個の製品群を立てるところから始めます。製品群が確立されれば、設計データ、試験データ、代替構成の部品表、品質知見、サプライヤ網が横展開で効き始め、前のステップまでに集めた現場知が初めて再利用可能な事業資産に変わります。
その上で、需要の集中が確認でき、品質やリードタイムのボトルネックが特定できた工程から、段階的に内製化を進めます。最初に取るのは、最終構成の決定、出荷前試験、トレーサビリティ管理のような、品質責任と直結しつつ資本負担が比較的軽い工程です。前工程の本格的な内製化は、その工程がボトルネックであると実証された後に初めて検討します。
ここでの競争軸は超ハイエンド性能ではなく、専用設計・短納期・製造可能性・供給安定性です。既存大手が「単価・歩留まり・設備稼働率」を最適化するのに対し、MotorAIが最適化すべきは「仕様変更への対応速度・再設計コスト・サプライチェーンの柔軟性」です。先に述べた通り、無人化・自律化が進む世界では、後者の比重が上がっていくと推測しています。設計エージェントから出発してここに到達することが、MotorAIの事業戦略の全体像です。
もちろん、この戦略が成立するためには、いくつかの難しい条件を乗り越えなければなりません。
- 設計現場で得た知見を、契約やセキュリティの制約を守りながら、どこまで製品の改善に活かせるか
- ある顧客の現場で磨いた能力が、別の顧客にも通用するレベルまで汎用化できるか
- ソフトウェアの会社からモータを納品する会社へ移行する際に必要な運転資金、体制を本当に整えられるか
- 将来的に米国や同盟国の市場を狙うなら、現地生産やパートナーシップの体制を構築できるか
これらは、事業戦略の前提として避けて通れない課題です。MotorAIは既存のモータメーカーや部品サプライヤーを置き換える存在ではなく、設計エージェント技術という新しい能力を活用することで、既存プレイヤーと連携しながら少量多品種市場を一緒に開拓していくポジションを目指しています。これらの課題に一つずつ向き合いながら、再設計の速度と供給の信頼性で、少量多品種のコスト構造を変革していきたいと考えています。
MotorAIのチームについて
現在、MotorAIのアクティブメンバーは11名です。
これまでは設計エージェントのSaaS事業を立ち上げるため、AI・ソフトウェア寄りの人材を中心にチームを構成してきました。2026年度は、設計エージェントのモータ設計能力そのものをさらに拡張していくことに加え、将来的な試作・製造領域への事業展開も見据えて、モータに精通した人材の採用も積極的に強化していく方針です。
私は人材採用の基本理念として、「会社と個人の長期的なWin-Winの関係」を掲げています。スタートアップは大企業に比べると状況が日々変化しますし、高い目標がプレッシャーになることもあります。しかしその分、事業の成長とともに個人のスキルは鋭く磨かれ、キャリアパスも多様に切り拓かれます。
仕事に何を求めるかは人それぞれです。こうした環境に面白さを感じ、設計エージェント技術でモータの設計・製造を変えていくというMotorAIのビジョンに共感いただける方と、共に仕事をしたいと考えています。
最後に
MotorAIはまだまだ挑戦中のスタートアップで、越えなければいけないハードルがたくさんあり、毎日もがきながら四苦八苦しています。
しかし、大変なことがありながらも、毎日ワクワクしています。創業期に思い描いていた「AIが設計者と一緒にモータを設計する」という姿が、お客さんの現場で少しずつ形になり始めています。チームメンバーが真剣に開発に取り組んでいる姿にも、何度も救われてきました。
MotorAIは、モータ設計エージェントをSaaSとして提供することから始めていますが、それは最終形ではありません。設計現場に入り込んで現場知を獲得し、設計から試作・製造までを一気通貫で回せる基盤へと拡張し、最終的には少量多品種のモータを継続的に届けられる会社になる。それがMotorAIの目指す姿です。
本当に多くの方々のおかげで、今こうして挑戦ができています。引き続き、MotorAIをよろしくお願いします。
